そろそろ金木犀の香りが漂い始めるだろう。
わたしは金木犀が嫌いだ。
中学生のころ、飼っていた犬を毎日散歩させていた。福岡の炭鉱町の人気のない道をいつもふたりで歩いた。学校で辛いことがあったときも親に気づかれないように、犬を連れさっさと散歩に出た。嬉しいことがあったときも喜びを共有するようにふたりで近所を駆け回った。物心がつく前からあたりまえのように一緒にいた。
そんな飼い犬が亡くなったのが金木犀の季節だった。
あの日、夜道をひとりで歩いてべそをかいた。
だから金木犀が嫌いだ。
大人になり東京に出てきて、こんな大都会でもふと金木犀が香る。
散歩の思い出が一瞬よみがえる。フリーズドライされた記憶が目の前に再現する。
耳が慣れたせいで何も感じない蛙の大合唱、たまに降った雪のなかふたりで跳ね歩いた沈下橋、立っているだけでめまいのする真夏のバイパス、田んぼと山しかない景色。
東京へ出て初めて一人で過ごした秋、金木犀が鼻を撫でて懐かしさで立ち止まった。
今では好きな匂いになった。